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穂高カントリークラブ設立の経緯

旧南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)の西山山麓に広がる穂高高原には、一面の松林に覆われた手つかずの自然が残されていました。人々はそこに、北アルプス燕岳登山口にある湯量豊富な中房温泉を引湯し、温泉を日常のものとすることを長年夢みてきました。
明治初期、大正時代における引湯の試みでは、湯温が確保できず挫折。昭和30年代後半、保温力の高いパイプの開発により、夢が現実に近づくこととなります。
昭和45年(1970年)に、第三セクターとして株式会社穂高温泉開発公社(現 穂高温泉供給株式会社)が設立され引湯事業が現実のものとなり、これを契機に別荘地の分譲、リゾートホテルの誘致、ゴルフ場建設等、穂高高原に一大保養地(現在の穂高温泉郷)をつくるプロジェクトが立ち上がりました。穂高カントリークラブはこのプロジェクトの中核施設の一つとして位置づけられ今日に至っています。

●1970年(昭和45年)

中房温泉から旧南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)への引湯事業がスタート
同年8月、穂高カントリー株式会社設立
同年12月、ジョー・E・クレイン氏によるコース基本設計完成

                                  
写真提供:穂高温泉供給株式会社
●1971年(昭和46年)

旧南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)教育委員会からの申し入れによる「離山遺跡」の発掘調査の結果、配石遺構・住居跡等が見つかり、コース基本設計変更
                    
OUTコース練習グリーン南側の立て看板
OUT練習グリーン南側立て看板
●1972年(昭和47年)10月5日

穂高カントリークラブ開場
     
開場当時のコース全容
開場まもなくのコース全体写真
●1973年(昭和48年)

クラブ会報「雷鳥」第1号創刊
     
クラブ会報「雷鳥」第1号表紙
クラブ会報「雷鳥」第1号表紙
●1974年(昭和49年) 

日本ゴルフ協会(JGA)及び関東ゴルフ連盟(KGA)に加盟
                           
●1980年(昭和55年)

中房温泉からクラブハウスへの給湯開始
        
旧男性風呂
改修前の男性風呂
●1983年(昭和58年)9月1日~4日

関東オープンゴルフ選手権大会開催
優勝者:藤木三郎プロ
ギャラリー数:延べ16,917名
(当時の関東オープンのギャラリー数の記録更新)
      
関東オープンゴルフ選手権大会
関東オープンゴルフ選手権大会
●1994年(平成6年)

クラブハウス増改築工事完了
  
クラブハウス増改築工事完了
新旧クラブハウス
●1994年(平成6年)9月8日~11日

日本女子プロゴルフ選手権大会開催
優勝者:日吉久美子プロ
ギャラリー数:延ベ35,273名
(最終日 15,340人のギャラリーは、当時の国内女子プロゴルフ大会史上最多)
                        
日本女子プロゴルフ選手権大会
日本女子プロゴルフ選手権大会
●1995年(平成7年)

「穂高カントリークラブ20年史」発刊
             
「穂高カントリークラブ20年史」表紙
「20年史」表紙
●2016年(平成28年)~

グリーンの芝種変更のため、インターシーディング開始(芝種:ダブルオーセブン)
 
ニューベント「ダブルオーセブン」播種作業
播種作業
●2019年(令和元年)9月5日~6日

関東シニアゴルフ選手権決勝競技開催
    
関東シニアゴルフ選手権決勝競技
関東シニアゴルフ選手権決勝競技
●2022年(令和4年)

開場50周年、クラブ会報「雷鳥」開場50周年記念号発刊

 
クラブ会報「雷鳥」開場50周年記念号
クラブ会報「雷鳥」開場50周年記念号表紙
●2023年(令和5年)12月~

クラブハウス北側(キャディマスター室側)の拡張工事およびクラブハウス周りの整備事業開始
  
クラブハウス北側改修工事中
(上)拡張工事前・(下)工事着工直後
  
クラブハウス北側改修工事後
拡張工事後
●2024年(令和6年)5月23日~24日

関東グランドシニアゴルフ選手権決勝競技開催
    
関東ゴルフ連盟主催 「関東グランドシニアゴルフ選手権決勝競技」
関東グランドシニアゴルフ選手権決勝競技
▼ コース設計者の横顔
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