穂高カントリークラブ設立の経緯
旧南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)の西山山麓に広がる穂高高原には、一面の松林に覆われた手つかずの自然が残されていました。人々はそこに、北アルプス燕岳登山口にある湯量豊富な中房温泉を引湯し、温泉を日常のものとすることを長年夢みてきました。
明治初期、大正時代における引湯の試みでは、湯温が確保できず挫折。昭和30年代後半、保温力の高いパイプの開発により、夢が現実に近づくこととなります。
昭和45年(1970年)に、第三セクターとして株式会社穂高温泉開発公社(現 穂高温泉供給株式会社)が設立され引湯事業が現実のものとなり、これを契機に別荘地の分譲、リゾートホテルの誘致、ゴルフ場建設等、穂高高原に一大保養地(現在の穂高温泉郷)をつくるプロジェクトが立ち上がりました。穂高カントリークラブはこのプロジェクトの中核施設の一つとして位置づけられ今日に至っています。
明治初期、大正時代における引湯の試みでは、湯温が確保できず挫折。昭和30年代後半、保温力の高いパイプの開発により、夢が現実に近づくこととなります。
昭和45年(1970年)に、第三セクターとして株式会社穂高温泉開発公社(現 穂高温泉供給株式会社)が設立され引湯事業が現実のものとなり、これを契機に別荘地の分譲、リゾートホテルの誘致、ゴルフ場建設等、穂高高原に一大保養地(現在の穂高温泉郷)をつくるプロジェクトが立ち上がりました。穂高カントリークラブはこのプロジェクトの中核施設の一つとして位置づけられ今日に至っています。
▼ コース設計者の横顔